夫婦ブラディング中。
今、私は夫婦でいることをSNSに当たり前のように載せています。
以前の私ではありえない事でした。
昔の私。
彼とのツーショットをSNS に載せて幸せアピールするなんて。信じられない(´Д` )
SNSを見る人の気持ち考えてーとか思っていた。
当時、私の心理状態はまさにカサカサ、ボロボロ。
けいたくんに出会う前で、その時期は恋愛はボロボロ。でも仕事は楽しいしいいや。
と自分に言い聞かせ仕事さえもうまくいかないともう大変で人前でも泣いてしまったり、もう大変。
「幸せ見せつけないでよ!」という勝手に悲劇のヒロインの塊でした。
けいたくんに出会ってからもSNSに載せていいかな?と聞かれても断っていました。
何度か「愛ちゃんも幸せになっていいんだよ。」と言われました。
SNS上で結婚式のプロセスを公開したり、夫婦でブログを書いていく事なんてあり得ない事でした。
受け取るのは相手側
嫌われる勇気という本を読みました。「課題の分離」 相手の課題を自分事にしない。
具体的に私の中の事例に当てはめるとSNS投稿を見て
どのような感情を抱くかは受け取り手が判断することなんだと知った時。
そっか。
以前の自分を思い出しました。
私幸せー♡見て―♡(こんな直接的表現ではないけど・・・。)などのリア充投稿に対し、
デートで浮かれてるの世間に見せつけてなんなの!?
でも、私は休日も仕事頑張っているもんね。なんて意地はって。それは幸せになれるわけがない。
(でも家もあったし、仕事もあったし、優しいお友達もいてくれたし、ごはんも食べれていた。幸せすぎる。)
持っていないものばかりにフォーカスしていました。
「そんなの見なきゃいいんだよ!!あんたが全部選択して、見て勝手にイライラして、仕事で無理に埋めようとしているんだよ!!」
と今、私が昔の私に会えるなら、何言っちゃってんの??とビンタをかませると思う。
みんな好きにやればいい。
昨年から子宮委員長 はるちゃん、そして心屋 仁之助さん。その方たちのブログ、そして本をやたら読んだ。
えー無理だー。わかんない。とかそんなこともいっぱいあったけど。
自分自身に従って生きると決めた今、少しずつわかってきている。
(気がする。もちろん今も右往左往している。)
はるちゃんの「世界にかわいそうな人なんていない。」という言葉。
(ブログだったか書籍だったかは忘れてしまった・・・。)
はぁー私は勝手にかわいそうな人を世界に作りあげてたわ。というか
勝手に自分をかわいそうな人に仕立てあげてるだけじゃん。
ようやく気がついた私は私を幸せな人とすることにしました。
だから発信したかったら発信していこう。やめたくなったらやめたらいいし。どっちでもいい。
だって私は私だから大丈夫。
それに気がつけたら、昔の私、まずビンタして、そのあとぎゅって抱きしめてあげられました。
めでたし。めでたし。笑えるようになってよかったね。