この記事の続きです。
幼い私の存在
心理学的に言うとインナーチャイルドでいいのかな。
今の私と小さい頃の幼い私。小さい頃の私は親が全てだったからこそ、親の笑顔が全てだった。
親に笑ってほしい、褒めてほしい、認めてほしい。
何か失敗すると悲しむから失敗してはいけない。の様な思い込みが大人になっても残っています。
だんだん違う事に気が付いて、何度も手放す練習をしてきた。
でもなかなかできなかった。認められているそう思ったのは結婚式の時。
なんだー。とっても愛されてるじゃん私みたいな腑に落ちた感覚がありました。
私は私を大切にする
おそらく違和感を感じ始めた2年前。私は初めて「自分を大切にしよう。」というメッセージを目にしました。
その当時はそれがよくわからなくて、混乱して、どうしていいかわかりませんでした。
それを体感できたのがこの菜食断食の経験を通じてでした。
誘ってくれたあっちゃんは、自分を大切にしよう、愛してあげよう。そのようなメッセージを発信しています。
だから私は彼女が好きになったんだと思います。
私は私を大切にするようになったら、私はとっても幸せを感じられ、私を好きになれた。
今の私を両親に見てほしい、伝えたい!と思い実家に帰りました。
「私、2人に認めてほしかったんだよね。」
私がそう話すと、両親は「何を言ってるの?」という感じでした。
それは私の中でわかっていた事でした。だって両親は私の事を認めてくれていた。
私が求めていた、「よく頑張っているね。愛ちゃんはそのままでいいんだよ。」というような、そういう形での認め方でなく
両親なりの育て方で育ててきていたんだもの。認めている、愛しているからこそ。
今の両親にとって私達夫婦の生き方はおそらく応援できるものではないはず。
食べていけるのか?安定した職の方がいいはず。話していてもそれをひしひしと感じました。
安定した職を手放した私達は心配でしかないのです。(このブログは読んでいません。)
私にとって安定した職を手放すという事が、私を大切にするという事だった。という事を話しても、なかなか理解を得られません。
伝えたかった事。
「私は私を大切にしたら、自分が大好きになれた事。だから2人も自分を大切に生きてほしい。」
いつも自分で抱え込むお父さん、自分の喜びよりも家族の喜びを大切にしているお母さん。
そんな2人に笑っていてほしいと伝えました。
ここでわかってよ!という気持ちは全然出てきませんでした。
私もそうだったけど、外ばかりに気持ちが向いていると、自分の中に集中するのってとっても時間もかかるし
自分がそうするって決めないとできない。だから選択するしないは自由だし、私は言っただけで大満足でした。
おそらく両親は何を言いに来たんだろう。あの子って感じだと思うけれど。
これから先、私がいかに楽しく生きるかだと思ってます。
きっと私が楽しそうに生きていたら、そんな生き方もあるんだろうな。って気が付くだろうし。
否定されたけど見返してやろうとかそういう気持ちはありません。
今回のこの出来事は経済的自立よりも、更に大事な心の本当の自立ができました。
私は私を大切にして生きていく。
今回のブログは思った事を、勢いに任せて書いてみました。
わかりにくい点もたくさんあったと思うのですが、読んでくれてありがとうございました。